2015年3月号
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9働く広場 2015.3相談・支援業務は通常に 東日本大震災で被害を受けた宮城障害者職業センターは現在、通常どおりの業務を行っている。2013年4月に赴任した所長の弘中章彦さんが、復興に関する相談内容の変化を説明してくれた。 「2011年度前半は、『先の見通しがつかない』、『仕事がどうなるかわからない』という不安感が非常に強かったようです。1年後にはそのような相談はほとんどなくなり、通常の業務+震災対応で頑張って働いてきたが体力的にきつい、通勤がむずかしいので退職した、とりあえずの仕事についたが転職したい、震災のトラウマでうつ病が長引いているなど、今後どうしたらいいかという相談が増えました。また、仮設から復興住宅に入り、住環境が変わったことで体調を崩した発達障害の方のジョブコーチ支援もありました。現在の仙台圏域は震災前と同じような状況になってきていると思います」 沿岸部は盛り土工事や道路整備が行われ、建設に関わる型枠工などは人手不足だが、障害者の人たちは働きにくい。 「法定雇用率が2パーセントに上がったこともあり、障害者の求人の動きは出てきていますが、ミスマッチの部分があります。沿岸部の水産加工業は6割ぐらい戻ってきたといわれています。新本社が建ち、本格稼働を始めると、障害者の雇用も増えてくるだろうと思います」ネットワークが財産 震災対策として仙台駅前に開設された職業準備支援室は、いまも利用者が多い。主任障害者職業カウンセラーの竹下純さんは2012年4月に赴任した。 「2011年度は約90人の方が利用し、その後も同じような水準で推移しています。利便性がいいことと、センターの職員が震災のとき積極的に安否確認に動き、就労支援機関や企業などとネットワークを構築できたことが、センターを使ってみようという動きにつながっていると思います。ジョブコーチ支援、リワーク支援など全事業の利用者も増えています」 竹下さんは、ネットワークを大事にしたいと考えている。 「宮城県では、震災の影響が落ち着いてきたこともあって、精神障害や高次脳機能障害など、医療機関等を中心とした就労支援ネットワークを作ろうという動きがあります。仙台市は発達障害の施策に力を入れています。震災の関係でできたつながりが、いろいろなネットワークに生かされているのは大きな財産だと思います。私もできるだけ多くの情報交換の場に参加しています」 所長の弘中さんも、障害者職業センターへの期待を感じている。 「期待に1つひとつ応えていきたいと思います。就業・生活支援センターをはじめとする地域の関係機関と連携して、全県的に障害者の雇用を支援していく体制を作っていくことが大事だと思います」宮城障害者職業センター(仙台市)宮城障害者職業センター〒983-0836 仙台市宮城野区幸町4丁目6番1号TEL 022-257-5601 FAX 022-257-5675化論に『強いものが生き延びるわけではない。環境に順応した生物が生き延びる』とあります。風評被害でぐちぐちいっていても、まわりが認めてくれるのに何十年かかるかわかりません。社員や地域を守るには、風評被害のある地域だと十分理解したなかで、順応した会社を作っていかないとダメだと思っています。地域の発展と働く場所を作るのが経営者の役割ですから、ホテル業がメインになっても構わない。相馬も南相馬も同じだと、環境に順応するしかないのです」南相馬のホテル建設予定地は、福島第一原発から20キロのところだという。「その内側は住んではいけないところです。南相馬では建設関係の人たちが大勢プレハブに住んでいるので、ホテルを早く建ててくれといわれています。180室のビジネスホテルと海苔の工場を合わせた形で計画しています。工場は安全安心のHACCP対応にします。障害者の雇用は私の核の一部ですから、外しません。うちの仕事には障害者ができる作業がたくさんあります。津波で流された倉庫の場所で、新しい加工場もやっていけるのではと考えています」相馬地区経営者協会会長など多くの役職をこなし、立谷社長は故郷相馬の再生に立ち向かっている。福島県の産業の復旧プロセスは道半ばだ。その状況下での「順応」。その言葉にこめられた重さが心に残る。サンエイ海苔のこれからを担う立谷社長の息子さん。長男の甲一さん(写真右)と次男の浩二さん水産加工工場が完成した(3150,36㎡)宮城障害者職業センター弘中章彦所長竹下純主任障害者職業カウンセラー宮城障害者職業センター

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