2015年3月号
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23働く広場 2015.3した段階で、私はまだ障害の診断を受けていなかったのです。 就職活動はうまくいきませんでした。それまでの失敗経験から、自己評価がきわめて低くなっており、「自分がこのまま社会に出ていいのか」という、人間として、また医療を学ぶ者としての良心の呵かしゃく責に耐えきることができなかったのです。1社目の面接の際、致命的な欠陥商品を売りつけているような罪悪感におそわれ、就職活動を投げ出し、ニートになりました。 そのような私が、なぜ就職できたのでしょうか。それは、千葉県の地域若者サポートステーションに通ったことがきっかけでした。経済的理由によりニートの状態を続けることが困難となり、就職活動を再開しつつ、そちらに通いました。キャリアカウンセラーや臨床心理士の先生とお話しするなかで、「どうもアスペルガー症候群ではないか」といわれ、精神科の受診を勧められました。そして、「アスペルガー症候群およびそれに伴ううつ」という診断を初めて受けたのです。 受診後は、病院でうつの治療、千葉市発達障害者支援センターで自己分析、千葉障害者職業センターで実務的能力の把握、ちば地域若者サポートセンターで対人技能のリハビリをする生活が始まりました。また、高齢・障害・求職者雇用支援機構の障害者職業総合センターで、発達障害者の支援技法の研究として実施されたワークシステムサポートプログラムに参加することができ、複数の専門家の先生から13週間にわたる支援をいただき、自分の特性や希望について考えを深めることができました。 こうした1年半以上にわたる自己分析ののち、千葉障害者職業センターの紹介でいまの会社に就職することができました。就職前からいまに至るまで、職場の実習やジョブコーチ支援、フォローアップ支援により、かなりスムーズに定着できていることを実感しています。まだまだ課題はありますが、それでもなんとか生活できているのは、一般的な感覚や常識を知識として学習し、それを応用しているからです。これができるようになるには、長い時間と手間をかけて、自己分析を行うことが必要でした。当事者から2つの支援提案井戸川 自らの経験をふまえ、私のように幼少期からの支援が受けられなかった発達障害者に対する支援について、2つほど提案したいと思います。 1つめは、何らかの問題を起こしたときに、「自分は発達障害者なのではないか」と考える機会を与えてほしいということです。特に、感覚的・主観的な部分の問題は、自分だけで判断するのはむずかしいのです。幼少期を乗り切ると、本人もある程度学習・適応して表面的に問題のない状況に達するため、「自分は普通だ」と納得してしまいます。しかし、そこで克服しきれないほどの障害をもつ人間は、私が大学で留年したように、どこかでボロが出てしまうのです。 2つめは、自己分析の支援をする仕組みを整備してほしいということです。発達障害者の自己理解には、どうしても時間と手間、第三者の手助けが必要になります。しかし現状は、一般的な職業準備支援や発達障害者の就労支援カリキュラムより手前の段階で自己分析をすることがなかなかできません。専門のプログラムを開発し、それを受けられる制度を整備する必要があると思います。松矢 当事者からの提言ということで、発達障害のある方にどのような困りごとがあるのか、また、その自己理解にどのくらい時間がかかるのか、どのような支援のプロセスがほしかったのか、非常によく伝わりました。 では、井戸川さんを採用された人事担当者は、どのようにお考えでしょうか。発達障害者を雇用する立場として、株式会社ジーフット人材開発部チャレンジド採用担当の岡田道一さんにお話しいただきます。岡田 当社は、イオングループの靴専門子会社です。井戸川さんには、『アスビー』という店舗で勤務していただいています。私自身、はじめは障害者雇用に興味がありませんでした。ただ、法律で決められたことに従い、雇用に取り組むなかで、井戸川さんと出会いました。私からは、当社がどのように障害者の採用活動を行っているのかについて、お話しします。企業における業務の創出岡田 岡田 2006年、当社が障害者を雇用できていないことについて、ハローワークから指摘を受けました。恥ずかしいことに、そのときまで、採用しなければならないことを知りませんでした。 2007年から、第1回目の雇入れ計画をすることになったのですが、担当は私1人だったこともあり、「何をしていいのかまったくわからない」という状況からのスタートでした。採用できなければ社名公表になってしまうた岡田道一さん会場風景

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