2015年3月号
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5働く広場 2015.3を受注している。震災時より従業員は少し増え、現在67人。そのうち障害者は41人(身体障害者4人、知的障害者36人、精神障害者1人)で、泉工場と病院ユニフォーム工場では28人が働く。ジョブコーチ的存在である指導員10人が障害者たちをサポートしている。 加藤さんが知的障害者を雇用したのは、父親が急逝し、社長を継いだ20代のことだった。「新工場を作ったとき、母に『障害者を雇うのは当たり前』といわれましたし、周囲がみな年上だったので、若かった私には大変でした。知的障害者とは学校の先生と生徒のようで楽しかったのです」知的障害者の雇用を始めて30年余。20人が会社隣の寮で暮らし、社長一家も一緒に住んでいる。知的障害者たちは、休日に仙台の繁華街までバスと地下鉄に乗って買い物に出かけたり、バスケットボールの練習をしたり、時には社長が映画に連れていったりと、レクリエーションが盛りだくさ余暇活動を楽しみに、仕事に励む工場の階段、壁に残る地震の爪あと新陽ランドリー加藤幹夫社長ん。その日常は、社長には「当たり前のこと」だそうだ。「知的障害者にもさまざまな経験をさせたい。お誕生日会、クリスマス、バレンタインデーなど、従業員同士のプレゼント交換が盛んです。私は大変ですが、楽しいですよ。夕食の献立は自分たちで決めていますし、お小遣いで月に3〜4万円使う人もいます」小学生のころから障害者と暮らしてきた息子の加藤幹太郎さんも自然体。最近、寮の管理や福祉サービスを行う会社を立ち上げた。加藤社長は、障害者は地域にも受け入れられているという。「地域の方たちにはよくしてもらっています。農作物をもらったり、稲刈りをしたり、地域のお祭りに参加すると歓迎されます。30数年働いている人たちの老後を考えて、これからグループホームを作りたい。定年退職しても年金で暮らしていけるというのがポリシーです」新陽ランドリーのバスケットボールのチームは、かつて東北・北海道ブロックのチャンピオンだったが、秋田県のチームに王座を譲ったとか。取材の日、勤務が休みで買い物に出かけていた木村はるみさんは日本でトップクラスの卓球選手で、シドニー・パラリンピックから活躍し、仁インチョン川のアジアパラリンピックにも出場した。「卓球は、キャリアを積むほど、知的障害の部分を補える競技。午前中は仕事、午後は東① 安心が連帯を強める② グループワークで情報共有③ 施設外就労を活用POINTPOINTPOINTユニフォームのアイロンがけを担当する伊東一絵さん、若林区の自宅は、津波で流された

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