働く広場2017年10月号
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19働く広場 2017.10小仲 邦生こなかくにお 居住する地域の自治会長をしていることから、毎年3月には、幼稚園・保育園の卒園式、小学校・中学校の卒業式にお招きいただく。そして約2週間後の入園・入学式にも参加させていただき、感動を味わっている。今年も例年同様、各式にお招きいただいた。 公立幼稚園の修了証書授与式(卒園式)にお招きいただいたときのことを記したい。式次第に市長の名前があった。「どなたが代理出席なのだろうか」などと考えながら式場に入ると、すでに市長ご本人が座っていた。「市内にいくつかある公立幼稚園のなかから、本年はこの幼稚園に祝辞をたずさえ参加した」と述べられた。 卒園児たちは、対話するような市長の語りかけに対し、声を合わせ「はい」とか「ありがとうございます」などと元気よく返事していた。 そんななか、ひとりの女児が市長に背を向けた格好で、一心に「ぬり絵」をしていた。女児の母親は、卒園児席に近い教職員席に座り“そのとき”のために待機しているように思えた。 “そのとき”は、式典が始まるとともに来たのである。ほかの19人のようではなく、椅子から離れ会場内を歩きまわる、母親に抱きつく、ぬり絵をする。式にはまったく無関心のようだった。保護者席の人々には“いつものこと”なのだろうか、女児の振舞いに驚く様子もなく、静かに式典は進んでいった。 “無関心”と思っていた女児は、式の終了前、園児・保護者・教職員で歌う「思い出のアルバム」三番 ♪ 秋のことです♪ の合唱が始まった途端、大きな声で“どんぐり山のハイキング…”と歌い、身振り豊かに表現したのだ。私は一喜一憂していたが、3年間ともに学び、遊んだお友だちは“普段通りだよ”と驚く様子もなかった。最後に元気な声で「4月から◯◯小学校へ行きます!!」と宣言し、母親と手をつなぎ、跳ねるように退場していった。 また、「聴覚」に障害がある男児は、補聴器をつけていた。男児の父親は、保護者席の最前列でビデオ撮影、母親は三列目でハンカチを握りしめていた。男児は、来らい賓ひん紹介の途中から父親に向かって何度も振り向き、顔を真っ赤にして泣きたいのを我慢している様子だった。ビデオの手を止めた父親は、落ち着かせようと何度も声をかけていた。が、男児の頬には堰せきを切ったように大粒の涙が流れ落ちはじめた。タオルで涙を拭く父親。ハンカチで顔を覆う母親。 全員の合唱曲「思い出のアルバム」の後半、園児全員が“手話”表現をした。男児との3年間の総まとめとして、園やお友だちの“思い”が取り入れられたのかもしれない。全員の子どもが、4月から入学する小学校名をいって退場していく。男児は紅潮していたが、大きな声で「◯◯ろう学校に行きます!!」と元気に宣言し、父親と手をつなぎ退場していった。 この男児は、小学部、中学部の義務教育を終え、高等部3年間をろう学校で学び成人していくことだろう。これまでは「健聴児」と学んだ3年間だったが、これからは聴覚に障害のある友と学ぶことになる。一方、女児は6年間「健常児」とともに学ぶことになる。 障害のある2人と学び、遊んだ幼稚園での3年間、障害のない子どもや保護者にとっては、“想い出”の1コマになる。が、その1コマが、その後の生き方に影響するかもしれない。園児は10年後、高校生になる。10年後、「ともに生きる」という考え方が当たり前の社会になっているのだろうか。4月12日、桜の花びらが舞うなか、8カ所の小学校へ20人は入学した。ともに学んだ園児たち第1回こなかくにお 熊本保健科学大学リハビリテーション学科 非常勤講師。明治学院大学社会学部卒業後、社会福祉法人「日本点字図書館」での勤務を経て、1975(昭和50)年に社会福祉法人「太陽の家」、1980年に参議院議員八代英太事務所に勤務。1982年には社会医療法人熊本丸田会 熊本リハビリテーション病院、2001(平成13)年には社会福祉法人「リデルライトホーム」での勤務を経て、現在に至る。長年、医療と福祉、リハビリテーションにたずさわる。

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