エルダー2017年11月号
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エルダー33暮らした。事情を知らない人が訪ねてくるとすぐ連れ出し、大盤振る舞いをして、たちまち金を使ってしまう。見栄でなく、それが一九の「人を喜ばせるおもてなし」なのだ。このことを聞いた近江屋がさっそくやってくる。 「大事な家財道具を売って、得にもならない人にごちそうしたそうじゃないか」 詰なじるようにいうと一九はニコニコ笑いながら、こう応ずる。 「得にはなりました」 「どんな得に? なにか仕事でもくれたのかい?」 「いいえ、一緒に酒を飲んで、心から喜んでくれました。あの笑顔は何物にも代えられません」 「呆れるよ、どれどれ」 近江屋は家のなかを見廻す。思わず、あっと声をあげる。 「一九さんは家財道具を全部売って他人におごった」家財道具は全部絵 と聞いた。その家財道具が全部揃っていたからだ。箪笥・戸棚・食器・花瓶など、すべてある。花瓶には花まで生けてあった。 が、疑い深い近江屋はそれらの道具に近寄って触れてみた。そして、 「なんだい、これは?」 と声をあげた。 「どれもこれも絵じゃないか?」 道具はすべて一九が描いた絵だった。ところが、一九はこういった。 「絵ではありません」 「ではなんだい?」 「つもりです」 「つもりとは?」 「箪笥のつもり、棚のつもり、食器のつもり、花瓶のつもり、花のつもり。私にはその絵が全部本物に見えるんです。決して絵じゃありません」 ムキになってそういう一九を見ているうちに、近江屋の胸を妙な気持ちがよぎった。それは (一九さんは負け惜しみでなく、本気でそう思っているのかもしれない) という思いだった。 (もしそうだとしたら) 近江屋はさらにその考えを進めた。 (一九さんは質屋の私より、よほど幸福だ) という考えが湧いてきた。 近江屋が相手にする客のほとんどが貧しい。質草に持ってくる品物も安物ばかりだ。娘の衣類もあれば、ときには家族の布団もある。 「布団を質にしてしまって、今晩はどうやって寝るんだい?」 見かねてそう聞く。相手は、 「寝ずに体をくっつけあって朝を待ちますよ」 と苦笑いを浮かべる。それでも商売上その布団を受け取って、期限を決め利子の計算をして、それを渡す金のなかから差し引くときの気持ちの重さが、近江屋はこのごろ堪えられなくなっていた。 (因果な商売だ) と、つくづく思う。 〝つもり〞人生で生きている一九が心から羨うらやましい。見栄も外聞もなく、心の底からそう思い込んでいるから余計そう感じる。 「ええい、もう!」 近江屋はがまんできなくなって声をあげた。一九の無垢な姿に負けたのだ。懐を探った。何枚かの小判があった。引き出すと一九の前に置いた。 「なんです、これは?」 一九が眉を寄せた。近江屋はいった。 「あんたに貸したつもり444の金だよ。つもりだから返さなくていい」 「?」 一九はキョトンとしている。しかし帰り道、近江屋はいい気分だった。

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