エルダー2018年3月号
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高齢者に聞く第 回株式会社アイユーメモリー代表取締役内うち山やま雅まさ樹きさん47 内山雅樹さん(70歳)は、大手旅行代理店で営業畑ひとすじに歩き続けてきた。定年を迎える10年ほど前から、定年後の生き方を模索してきた内山さんが選択したのは、未知の世界である葬儀会社の起業であった。 旅行代理店時代の人脈と長年つちかってきた営業力で新しい人生を切り開いた内山さんが生涯現役の思いを語る。2018.330旅行ブームの幕開けとともに私が産声を上げたのは福島県ですが、すぐに一家で東京・中野区へ転居、以来ずっと中野で育ち、ここが私の故郷です。父は昔の逓てい信しん省に勤務していた関係で戦前は北ぺ京きんで働いており、兄は北京で生まれています。大学卒業後、当時大手4社といわれていたなかの一つの旅行代理店に就職しました。大阪万博が開催された年で、入社したばかりの私も添乗員として万博に行きましたが、大阪の熱気をいまでも覚えています。万博をきっかけに日本人の海外旅行への関心が高まりました。旅行代理店花盛り時代が到来、同期入社は全体で数百人はいたでしょうか。職場は活気にあふれ、仕事も面白かったです。私の担当は企業を対象とした営業で、経営者の視察旅行などを受注、入社して10年ほどは1年のうち200日以上、添乗に飛び歩きました。当時のお客さまのなかには、いまやだれもが知っている有名企業を育て上げた人も。起業の際には、このころの人脈に助けていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。順じゅん風ぷう満まん帆ぱんな日々が続き、39歳で管理職を拝命し、東京都内の京橋や銀座、新宿などの支店長を歴任しました。本社の販売部長、管理部長などの要職にもつき、公私ともに充実していました。49歳のとき、最愛の連れ合いの急逝という、内山さんの人生を大きく変える出来事があった。さらに相次いで大切な人を3人も見送ることになり、葬儀の世界に触れる機会が多くなった。これをきっかけに、内山さんは、漠然と未来図を描くようになった。55歳で起業に挑戦私は仕事人間でしたから、妻は苦労も多かったことと思います。大切な伴侶を失って、これからの人生というものをいままで以上に真剣に考えるようになりました。体力や気力のあるうちに次のステップへふみ出したいという思いは強くなるばかりでしたが、首都圏の販売店舗を統括する責任者でしたから、仕事を投げ出すわけにもいきません。葬儀市場の伸長に着目して、将来の仕事にしていこうと考えたものの毎日が忙しくて、会社を起業したいという気持ちがあっても具体的には何も進みませんでした。そのうち営業推進室に異動することになり、少し時間的な余裕が生まれました。このタイミングを逃したら会社を辞められないと思い、営業推進室を最後に、30年お世話になった会社に別れを告げました。ありがたいことに会社は慰留してくれましたが、60歳の定年までは気力も体力も維持できないだろうと、思い切って55歳で退職しました。

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